トップ >> 筒井ガンコ堂のガンコスタイル >> vol.1 もうひとつの見る視点(2003年)

 今ではあまり読まれなくなったが、私の大好きな作家である川口松太郎に、『窯ぐれ女』という小説がある。「窯ぐれ」とは、文中に「窯のある町から町へ、流れ暮らしをしている焼物職人を(瀬戸では)窯ぐれと呼び、江戸時代から今に至るまで跡をたたない」と説明してある。
 大正初期に東京・今戸の瓦焼きの家に生まれた一少女が「やきもの」に興味を抱き、両親の反対を押し切って、瀬戸在住の、強烈な個性をもつ名人陶工に弟子入りし、女陶芸家の道を歩む物語だが、作中のその陶工の言葉が、「つくる」側からのやきもの観をよく語っていて、新鮮である。

 名古屋城の石垣を前に女弟子に語る。
○ わしらの陶器もこうありたいものだ。誰が造ったか判らぬが、名もない職人の仕事でいながら、美の極限に至っている。美しく造ろうと思えば卑しくなり、無心に造り上げてそれが美に至った時、真の美が生まれる。これが理想だな。
女弟子が上手く器をつくれないのを見て、
○ 土はいきているんだぞ。下手な奴に?まれると形を出さず、厭だ厭だというだけで皿にも茶碗にもならない。土ほど相手を見る奴はないのだ。お前にはまだ土を愛する心が生まれていない。陶土を物体と思っている間は、焼物師の資格がないのと同じだ。
また、
○ 教わって覚えたのは忘れるが、体の中へしみ込んだ技術は死ぬまで忘れない。俺のする事をよく見ていろ。然し俺の真似はするな。
この陶工は専門家以外の批評や鑑定を全く認めない。
○ 金を出して作品を買ってくれる人たちが批評家だ、安い金じゃないのだから。

これらは同じく、創作に携わる立場の川口氏の見解でもあろうが、「つくる」人たちの思惑や態度・姿勢などを推し測りながらやきものを見れば、鑑賞にさらに深みが加わるかもしれないと思い、一部を紹介した。

photo ■筒井ガンコ堂
本名:筒井泰彦(つつい・やすひこ)
1944年佐賀県生まれ
平凡社にて雑誌「太陽」編集に従事。
佐賀新聞社で文化部長、論説委員など歴任。
元「FUKUOKA STYLE」編集長。
著書に「梅安料理ごよみ」(共著)、
「必冊 池波正太郎」等
Copyright(C)2002 Fukuhaku Printing CO.,LTD
このサイト内の文章や画像を無断転載することを禁じます