福岡市美術館所蔵の松永コレクションを中心とした陶磁器展へ行ってきました。美術館内の松永記念館室というコーナーにて開催されており、中国と朝鮮の陶磁器22点が展示されていました。松永コレクションとは政財界で活躍した松永安左エ門氏が、茶道具や仏教美術を中心に収集した名品のことです。コーナーでは時代順に作品が展示されており、学芸課・尾崎さんのお話を伺いながら鑑賞しました。 |
「ちょっとこの作品の口部分を見て下さい。」と尾崎さんが示したのは「緑釉獣環鐘(りょくゆうじゅうかんしょう・後漢時代)」という高さ50cm程の大きな壺です。鐘(しょう)とはお酒を入れる壺のことで、もともと青銅製で、その器形を陶製で写したのが漢の時代に流行したのだそうです。作品の表面はきらきらと輝いており、まるで金属のようですが、これは土に埋もれていた際に釉薬が変質した銀化と呼ばれる風化現象のせいです。そして口の部分を見てみると、釉が垂れている跡があります。尾崎さんによるとこの作品は、口を下にして焼成されているとのこと。「作品が倒れないように、壺をひっくり返し何らかの支え棒に差し込んで焼成していたのでしょう。」という尾崎さんの説明に一つの作品から様々な事柄が読み取れるのだなと思いました。
尾崎さんは技法の説明とともに、その作品にまつわるおもしろい話もして下さいました。その中で初めて聞いた言葉が「天竜寺青磁(てんりゅうじせいじ)」というものです。この言葉は「青磁刻花牡丹文大平鉢(元〜明時代初期)」という直径50cmぐらいの大きな平鉢を見ているときにうかがいました。「この作品は天竜寺青磁ですよ。」という尾崎さんの言葉に私はてっきり天竜とかいう釉薬でも使っているのかなと思っていました。若干沈んだグリーンでつやのある青磁釉のことを指すそうですがこれ以外にも逸話があるそうです。室町時代に天竜寺船と呼ばれる交易船に積まれて日本に伝わったからとのことですが、この天竜寺船は実は京都の天竜寺を造営するための資金調達船だったそうです。当時日本では大変高価だった青磁を中国から輸入し、日本で高値で取引した利益を寺の造営資金として当てていたらしいのです。その昔はるか遠くから海を渡ってきたこの大きな平皿が、一点のキズもなく私の目の前にあるのを思うと何だか離れがたい気持ちになりました。 |
青磁などのしっとりした作品の中で、かわいらしい絵付けでほっと和むような作品がありました。「嘉靖五彩魚藻文壺(かせいごさいぎょそうもんこ・明時代)」です。五彩とは白磁に赤・緑・黄・藍・黒といった上絵具で絵付けを施したもののことで、日本では染錦と呼ばれるものに当てはまるのだそうです。この技法は嘉靖期(1522〜1566年)に隆盛を極めたそうで、この作品の底にも「大明嘉靖年製」という銘があるとのこと。ゆったりとしたボリューム感のある器形に、水の中で軽やかに動きまわる魚たちが生き生きと描かれています。その魚たちの間には簡略化された色とりどりの水草が浮いたり、なびいたりしています。ところどころにはとても小さくカラフルな水草が散らしてあるので、きらきら輝く水の世界を思わせます。 |