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テーマ展「宴の大皿」
<会期:平成15年9月17日〜平成15年9月28日>
平成15年9月17日

 昼間はまだまだ30度近い暑さになるものの、朝夕は随分とすごしやすい気候になってきました。少し頭が垂れ下がったまだ青い稲穂が広がる田んぼを眺めながら、九州陶磁文化館へ車を走らせました。今回おじゃました展覧会はテーマ展「宴(うたげ)の大皿」。江戸時代初期から、幕末にかけて肥前地区(佐賀・長崎)で生産された大皿を展示し、その技術推移や大皿の需要があった歴史背景を見ていこうというものです。
 会場には40点の作品が展示され、その華やかさと大きさで圧倒されそうです。作品は年代順に「1.大皿の誕生(慶長年間1590年代〜)」・「2.大皿の時代(〜1660年代)」・「3.大皿の衰退(1670年代〜)」・「4.大皿の再興(1810年代〜)」と4つのブロックに分かれて紹介。またその当時、どうやって大皿が使用されていたのかがわかる屏風絵図などのパネルも展示されていました。九州陶磁文化館副館長の大橋さん、学芸課係長の森田さんにお話を伺いながら作品を見ていきます。

 まずは「1.大皿の誕生」ブロックです。このブロックには古唐津と初期伊万里の作品が展示されています。国内で大皿がつくられるようになるのは、桃山時代で唐津焼がおそらく最初ではないかということです。それまでの大皿は輸入陶器を使用していたのだそうです。「江戸時代初期になると、磁器の生産がはじまり、大皿も磁器製のものが登場します。しかしまだ焼成方法などが確立していないため、ゆがみや傷なども多かったようですね。」と大橋さん。この頃の染付の絵付けも中国製の陶磁器の影響を受けたものが多いそうです。大皿は大勢の人が集まる宴席用としてだけではなく、権力者の力の誇示を表現するための物でもあったのだとか。まだまだ一般の人に使用されるものではなかったそうです。

 次のブロック「2.大皿の時代」に入ると、様々な装飾を施した実に華やかな作品たちが並んでいます。大きな高台をもつ器を焼成できる「ハリ支え」という技法が導入されることで、大皿にも優れたものが生産されるようになる時代です。1640年代頃の作品では、いわゆる古九谷様式と呼ばれる作品が印象的です。「古九谷様式の色絵皿は華やかで、印象的な絵付けです。中には皿の見込みについた傷などを隠すために色絵を施したものもあるようです。」と森田さん。その後さらに技術がすすみ、ゆがみや傷も少ない器が焼成できるようになると、白地をいかした染付の作品などが多く見られるようになります。

 このブロックには今回の展示作品でも一番大きい「染付竹虎文大皿(1650〜1660年代)」という作品がありました。径は約60cmほどのほんとに大きな作品。お皿の見込みに絵付けされた文様は、装飾というよりは、その大きさからキャンバスに描かれた絵画のようでもあり、襖絵のような迫力も感じさせます。
 この時代には、徳川幕府が確立し、将軍の権威を高めるために、将軍による大名邸への「お成り」とよばれるイベントがたびたび催されていたのだとか。その「お成り」では、豪勢な酒宴が開催され、その時にこういった大皿が大活躍していたと推測されます。技術革新がすすんだだけではなく、こういった時代背景の需要もあり、大皿製品が大量に生産されていたのでしょう。

 ところが、1670年代頃から大皿の需要は衰退していくそうです。「幕府の権威も安定し、時代は倹約の方向に向かうことから、豪勢なお成りなどもなくなっていったことが大きな原因のひとつでしょう。」と大橋さん。
 またこの頃になると、器にも完璧な出来上がりを要求されるようになり、それを実現するため「サヤ入れ焼成」という方法を用いたことから、大皿の大きさが30cmほどが限界だったのだそう。「サヤ入れ焼成」とはサヤとよばれる箱のような物の中に器を入れて焼成する方法です。これによって、器に傷などがつかず、精緻な仕上がりが可能だったのですが、サヤの大きさに限界があることから大きな作品ができないのです。献上用としての御用窯で知られる、鍋島藩窯様式はこの方法で焼成されていたため、30cm以上の大皿は見受けられないのだとか。

 国内向けの大皿需要は低くなったというものの、輸出用としての大皿は生産されていたそうです。またサヤを使わない、普通の大皿製作は可能だったことから、輸出用には40cmを超えるものが多く作られていました。「3.大皿の衰退」ブロックにもヨーロッパ向けだった大皿が展示されていました。「染付芙蓉手唐人文大皿(1680〜1700年代)」という作品です。ヨーロッパ向けの大皿は、食事用ではなく主に壁面を飾る装飾用として使用されていたのだそうです。



 時代が下ってくるとまた大皿の需要が高まってくるそうです。最後のブロック「4.大皿の再興」を見ていくことにしました。18世紀の後半になってくると、高級食器だった磁器が庶民にも普及。また食文化の変化や、町人の経済力向上にともない、大皿料理が成立してくるそうです。大橋さんによると代表的なもので、中国文化の影響を受けた長崎の「卓袱(しっぽく)料理」、高知の「皿鉢(さわち)料理」などがあげられるそうです。なるほど、これらの料理は今でも大きなお皿に盛り付けられて登場します。江戸時代初期の権力者のための物とは違い、多くの人に使われることで大皿の需要が復興したのでしょう。
このブロックで目にとまったのは「染付日本地図大皿(1830〜1840年代)」。大皿の見込みに型押しと染付で立体的に描かれた地図のモチーフがおもしろい作品です。伊能忠敬による日本地図製作、外国との通商・開国議論などの世相を反映してか、地図を図案のモチーフとした器が流行していたのだそうです。

 今回は大皿という大きな面積に絵付けがされていることで、見ても楽しく、またひとつの器形の作品をみていくことで、技術の推移だけではなく、当時の世相まで知ることができた興味深い鑑賞となりました。この展示作品の半数が「柴田夫妻コレクション」の作品だったのですが、以前柴田さんが「有田焼は時代の生活のありさまがわかる、民俗学と考古学の接点だと考えています。」とお話されていたことを思い出しながら、もう一度最初から作品を一人で鑑賞しました。


■お知らせ
学芸員さんによるこの展覧会の解説会が実施されます。平成15年9月20日(土)14:00〜15:00となっています。九州陶磁文化館第1展示室にて開催。受講無料・参加自由です。



●佐賀県立九州陶磁文化館

【所在地】西松浦郡有田町中部乙3100-1
【電 話】0955-43-3681
【駐車場】有
【休館日】月曜日・12月28日〜1月1日