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テーマ展 食のうつわ−江戸時代の碗・皿−
<会期:平成17年3月15日〜平成17年4月5日>
平成17年3月15日

 普段、私たちが何気なく使っている飯碗や湯呑みなどのやきもの。陶磁器は私たちの生活には馴染み深いものです。しかし、美術館や資料館で見るやきものになると、どうしても「芸術品」としての視点で鑑賞するのですが、伝世品の多くは歴史の中で人々に使われてきたものです。昔の人はどうやって使っていたのか?そんな日常の視点で、古伊万里を鑑賞できる展覧会が九州陶磁文化館で開催されています。
 膨大な古伊万里コレクションで知られる「柴田夫妻コレクション」を中心に、「白雨コレクション」や寄贈品などを加え約100点ほどが展示。またこれらの古伊万里に加え、当時の絵画資料パネル、古文書、料理本などの参考資料も展示され、江戸時代の食生活を垣間見ることができます。九州陶磁文化館では、このような「使う」という切り口で展覧会を開催するのは初めてとのことで、今回はとくに碗と皿に絞って構成されています。
この企画をご担当された学芸員の藤原さんにお話を伺いながら展示を見ていきました。

 まずは、私たちの食卓にも欠かせない「飯碗」が目にとまります。「飯碗も実はさまざまな形のものが、各時代に登場しているんですよ」と藤原さん。陶磁器の飯碗の登場は、肥前磁器の誕生とほぼ同時で、17世紀代までは口径に対して高さの割合が大きい丸型の碗が主流だったそうです。そして17世紀末から蓋付き碗が登場し18世紀前半から多く見受けられ、丸みのあるものや、直線的な強く口が開くものなどがあるとのこと。この蓋付き碗が流行し出した時期と同じくして、江戸のまちでは「奈良茶漬け」という、料理がはやっていたそうです。
「その当時の料理本を見ると、蓋付き飯碗は、奈良茶漬けなどの米飯料理に用いられていたことが伺えます。奈良茶漬けとは煎茶で炊いたご飯にお茶をかけて食べるもので、いわゆるファーストフードなんですね。この奈良茶漬けのおかげで、その当時は蓋付き碗のことを『奈良茶碗』などと読んでいたほどですので、その流行振りがうかがえます」と藤原さん。
 また時代を追うごとに、中国の影響を受けた「広東形」・「端反形」などの様々な形状の碗も登場します。数種類の形状の碗の中に、少し大きめで腰のはった堂々とした形状の碗がありました。これは「望料(もうりょう)」と言われる碗で、普通の碗と比べると、蓋のあわせなどが難しく、高いろくろ技術を要するものだそうです。有田では昔から、この望料を同じサイズでどれだけ早く数をこなせるか、がろくろ職人の技の基準値でもあったのだとか。現在でも、有田窯業大学校の試験科目に入っているそうです。

 飯碗だけでも様々な形状があったことに驚かされますが、「皿」のコーナーでも様々な用途別の器が存在していたことを知ることができます。まずは、「染付松人物牡丹唐草文大皿」という大皿が目に入ります。私たちの感覚からいくと、やや平たい「大皿」ですが、江戸時代には径が20cm台くらいものもを「大皿」と呼び、それより大きな今でいう「大皿」は「大鉢・鉢・肴鉢」と呼ばれ、宴席の料理盛りに使われていたそうです。
「今でも、大皿の宴会料理などを『鉢盛り』といいますよね。これは当時、大皿を『鉢』といっていた名残が、料理名称として残っているひとつでもあるんですよ」と藤原さん。確かに鉢に盛り付けてあるわけではないのに、「何で鉢盛り?」という疑問をもった方はいらっしゃいませんか?私もこのお話を聞いて、思わず「へぇぇ」と声が出てしまいました。
 この他には、刺身料理用の「刺身皿」。焼き魚などを盛り付ける「焼物皿」や「長皿」などが並びます。しかし、中には「これが皿?鉢じゃないの?」という形状のものも並んでいます。それは「膾皿(なますざら)」・「筍羹皿(しゅんかんざら)」というものです。「膾皿」は口径が15cm前後のもので、少し深め。これは汁気の多い料理を盛り付けるのに用いました。魚介類や、獣肉を細かく切り、酢を用いて味付けした膾物、いわゆる酢の物をおもに盛り付けていたため、この名がついたのです。江戸時代には、酢の物料理が非常にバリエーション豊かで、酢の種類も豊富だったとのこと。
 そして聞きなれない「筍羹皿」は、煮物料理を盛り付けるもの。筍羹とは、煮物料理の名称で、竹の子や野菜などを取り合わせた、中国の禅寺の精進料理。日本では、江戸初期に料理本に登場し、「筍羹皿」と呼ばれる形状の器は18世紀から登場します。この筍羹料理は全国各地に伝えられ、有名なものでは鹿児島の郷土料理が知られています。また大分では焼き魚や煮しめ、寒天、かまぼこなどを盛り付けたものを「しゅんかん」と呼ぶそう。有田でも、端午の節句に振る舞う竹の子料理を「しゅんかん」と呼び、それを盛り付ける大皿を「しゅんかんざら」と言うのだそうです。

 展示を見ていく中で、私も普段の器名称で「なぜ?」という疑問があったので、藤原さんに質問しました。それは「手塩皿」。豆皿や小皿を「手塩皿」ともいいますが、これも昔の食生活から来ている名称だそう。「その昔は、手に直接塩をもってご飯を食べていました。そのうちに小皿に塩を盛るようになります。江戸時代になると、こういった小皿には塩だけでなく、漬物なども盛るようになります」と藤原さん。
「手塩皿」は食事の方法から由来していた名前だったようです。もちろん会場にも様々な「手塩皿」が並び、細かい絵付けや魚形をした意匠のものなど、その愛らしさから女性に人気のようでした。

 会場ではこの他にも、江戸時代に要人をもてなす「本膳料理」のいわゆるコーディネートを再現したものや、お茶につかう碗や湯呑み、また当時の食事の様子がうかがえる絵画パネルなども展示。それにしても、用途によって細かく器を使いわけていた江戸時代。とかく私たちは、ついなんでもまかなえる便利なものをと思いがちです。丁寧に器も選択し、そして食べ物をおいしくいただく。「食育」ということが昨今よく耳にしますが、こうした昔の暮らしを知ることもそのひとつかもしれません。陶磁器の展覧会でしたが、なにか私たちがあわただしい生活の中で忘れてしまった大事なものを気付かされた気がしました。


■取材雑記
会場には、江戸時代の料理本から抜粋した文献パネルもありました。いまでいうレシピ本ですが、なかなか詳しく書かれています。「春・むしかれい塩焼 ふきのとう、しらうお」など季節にふさわしい食材が指南されています。思わずお腹の虫がなってしまいそうですが、器に盛り付けられているのを想像しながら、鑑賞すると楽しそうです。

●佐賀県立九州陶磁文化館
【所在地】西松浦郡有田町中部乙3100-1
【電 話】0955-43-3681
【駐車場】有
【休館日】月曜日・12/29〜12/31