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2007 おすすめ展覧会
−全国美術館で開催のやきもの関連展覧会−
暮らしに見る茶の器
美濃における茶器の変遷展
<会期>平成19年10月2日(火)〜12月24日(月)
 この度の展覧会は、江戸時代前期から明治時代に美濃で焼かれた茶の器を取り上げ、その変遷を紹介します。なお、本展は、多治見市文化財保護センターのご協力により、収蔵品を借用し展示を行っております。
 日本における茶の歴史は、奈良時代から平安時代にかけて盛んに行われていた遣唐使によってもたらされたものの、894年、遣唐使の廃止と共に茶の導入も止まり、日本に根付くことはありませんでした。その後、鎌倉時代に日本に禅宗を伝え、京都・建仁寺の開山となった栄西禅師(1141〜1215)によって薬として抹茶が持ち込まれ、喫茶の習慣が禅僧の間から次第に武家階級の間に広まり、一般に普及していきます。室町時代に入ると茶の銘柄を当てる闘茶が流行し、また殿中の茶会では中国の青磁や天目などの唐物の茶碗が用いられていました。これに対峙して、村田珠光(1423〜1502)が日本独自の美意識による侘び茶の姿勢を説き、村野紹鴎(1502〜1555)に受け継がれ、千利休(1522〜1591)によって大成され、古田織部(1544〜1615)で町人好みから武家好みに変化しました。千利休の時代には、侘びの美意識を表現した楽茶碗や瀬戸黒茶碗を好み、古田織部の時代には、開放的で斬新な茶風に合った黒織部や志野織部などの沓形茶碗が好んで使われました。江戸時代前期に入ると小堀遠州などが「きれい寂び」の影響を受けた端正な茶碗を使用するようになります。また、江戸時代中期頃になると、釉薬の改良により意図的に光沢のある漆黒色に発色させた器が使用され、拳骨状の窪みや長石釉の散らし掛けが茶碗に変化を与えています。
 江戸時代前期に中国の禅僧で黄檗宗の開祖である隠元禅師(1592〜1673)らが来日したのを契機に、文人趣味とともに新たな喫茶法である急須などを用いて葉茶を湯に浸して飲む煎茶道が伝来します。江戸時代中期になると黄檗宗の僧であった売茶翁高遊外(1675〜1763)が京の町で茶を売り、京都や大阪を中心とする多くの文人と交流を重ね、煎茶が文人達の間で嗜みとして確立しました。また、茶道と煎茶道は、茶禅一味として共存しつつ、茶道は一期一会を旨とする精神性を重んずるのに対し、煎茶道は形式にとらわれず自由な精神を重んじ、煎茶を飲みながら人との対話を楽しむ茶風を形成しています。美濃においては、江戸時代後期に磁器の焼成が可能となり、煎茶碗や急須、湯呑みが作られました。
 また幕末以後、国の殖産振興策に沿って、海外で開催された万国博覧会や内国勧業博覧会などを通じて日本趣味(ジャポニズム)が起こり、輸出用の珈琲・紅茶碗皿の需要が急増します。染付けや上絵付が施された器には、繊細な筆使いで花鳥風月など日本的な文様が描かれ、また多治見の西浦焼にも見られる釉下彩の技法も取り入れらています。しかし、珈琲や紅茶の普及は、1854年に鎖国が解かれ文明開化以後に徐々に一般に広がったため、これらの製品を作った職人は、おそらく未だ口にしたことのない飲み物の器を作るのに試行錯誤を繰り返したと推測できます。茶の器を通して私たちの生活様式を反映した「茶器の変遷」をお楽しみいただければ幸いに存じます。

会場 岐阜県陶磁資料館
住所 岐阜県多治見市東町1-9-4
電話 0572-23-1191
入館料 一般300円/高大生200円/小中学生無料
※15名以上の団体は2割引
開館時間 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 10月8日・12月24日を除く毎週月曜日
10月9日(火)・10日(水)・11月6日(火)・27日(火)
年末年始(12月25日〜1月5日)
交 通 ・多治見駅よりタクシーで約10分
・多治見駅前よりコミュニティーバス、セラパークバス当館前下車
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