館蔵「古伊万里にみる江戸のくらし」―装飾と実用の姿―
<会期>平成16年7月3日(土)〜9月26日(日)
 17世紀初頭、朝鮮半島や中国陶磁器の影響を受け佐賀県有田町周辺で誕生した伊万里焼は、素地の成形、染付、釉掛け、色絵、焼成など、各工程において分業体制で生産されました。やきもののベースを作る成形の職人は、轆轤を基本として均整のとれた素地を作るほか、団扇、果実、動植物の意匠をそのまま器形として用いるなど、バリエーションに富んだ魅力的な変形皿を生み出しました。絵付け職人は、白く艶やかなカンヴァスのような磁膚に様々な装飾を施します。呉須(ごす)の藍色と、素地の白のみで画面構成される清々しい染付。職人は日本的な自然風土や、当時国内で流行していた漆器、染織などで使用されていた文様をうつわの意匠として取り入れ、濃(だみ)の濃淡を効果的に使い分けて描写することで、伊万里焼独自の世界を表現しました。当初その大部分は染付でしたが、17世紀中頃になると赤、緑、黄など鮮やかな色彩が施され、更に金銀彩を焼き付ける技法でうつわを華やかに彩りました。やきものに強度と艶を与える釉掛けの職人は、透明釉だけでなく青磁釉、瑠璃釉、銹釉など複数の釉薬を併用する趣向を凝らした施釉技術で美的効果を高めました。このようにひとつのやきものを完成させる過程では、それぞれの道を極めたプロの職人の手により、どの工程においても隅々まで丁寧な装飾が施されました。江戸の職人は既成概念にとらわれることなく、様々な技術を駆使し、伊万里焼を「機能」と「美」両方を兼ね備えた美術工芸品にまで発展させていきました。
 ガラス質で清潔感ある白さを持ち、薄づくりながら硬質で丈夫な伊万里焼。生活のうつわとして伊万里焼は優れた性質を持ちつつも、当時は非常に高価だった為、それまで焼締めや、素焼きの土器が日常のやきものだった一般庶民にとっては高嶺の花でした。伊万里焼は主に目の肥えた大名や大商人といった富裕層の間で珍重され、茶懐石や祝い事などの特別な席上で好んで用いられました。17世紀中頃には染付のほか、色絵の技術を完成させるなど、伊万里焼はその誕生から100年足らずの短期間で目覚ましい技術の発展を遂げます。この頃から国内に留まらず、ヨーロッパをはじめ各地に輸出されるようになり、伊万里焼は中国磁器とともに西欧の人々を魅了し、多くの国の工芸文化に多大な影響を与えました。
 18世紀に入ると伊万里焼は低コスト化を計り、磁器の量産化に成功するなど更なる技術革新がなされると共に、輸出事業の衰退や、人々の経済力・生活力の向上もあって生産の主力を国内市場に移します。高級食器類だけでなく、日本の食生活の変化に伴い、蕎麦猪口や蓋付の飯碗など、染付を中心とした廉価でより実用的なうつわが作られるようになりました。18〜19世紀にかけて伊万里焼が人々の暮らしに深く浸透すると、職人はその持ち前の豊かな想像力で、日常食器だけでなく様々な磁器製品を生み出しました。例えば襖の引き手、水滴、硯屏(硯の脇に立てて風塵を防ぐ小さな衝立)、筆軸などの文房具、女性が化粧をする際に使用する紅皿や鉄漿茶碗(お歯黒用の茶碗)の他、果ては将棋の駒といった遊戯の道具に至るまで、身近な日用品のアクセントとして磁器を取り入れるところには、江戸の職人の粋な遊び心が感じられます。
 大名や商人、町民から一般庶民まで幅広い消費者のニーズに応じ、その時々の流行によって多種多様なデザインの器形が生み出された伊万里焼は、江戸の人々の暮らしに潤いと彩りをもたらしました。今展示では、現代においてもなお新鮮な息吹を放つ、職人の技と粋の感性が凝縮された伊万里焼を通じて、豊かに育まれた江戸の生活の一端に触れる機会となれば幸いです。
(上写真:染付獅子花唐草文長皿・伊万里・江戸時代18世紀初/戸栗美術館所蔵)

■主な展示作品
・染付山水文団扇形皿 伊万里  江戸時代(17世紀中葉)
・青磁染付朝顔文葉形三足皿 伊万里  江戸時代(17世紀中葉〜後半)
・染付雪持柴垣文扇面形皿 伊万里  江戸時代(17世紀後半〜末)
 など約115点展示予定

会場 財団法人 戸栗美術館
住所 東京都渋谷区松濤1-11-3
電話 03-3465-0070
入館料 一般1,030円/高大生730円/小中生420円
(団体割引は20名様以上で200円割引)
※アートサークル(年会員)随時受付中 3,800円。お申込み当日より有効です。
交 通 「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩5分
開館時間 9:30〜17:30(入館受付は17:00まで)
休館日 月曜日(祝日の場合開館、翌日休館)
URL http://www.toguri-museum.or.jp/