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寒鶯窯
かんおうがま


 3月はじめ、こちら佐賀は梅の見頃もそろそろ終わりかしらという時期。庭先や公園の木々からは、まだあまり上手ではない鶯の鳴き声が聞かれるようになってきました。そんな時に雑誌で目に止まった「寒鶯窯」の文字。唐津焼の制作に取り組む田中邦子さんの窯です。鶯の名前に縁を感じながら足を運んでみると、ご自宅の庭先を歩いてたどる、くど造りの一部を改造した工房兼展示室。そこに一歩入ると昔のままの土間、古い和箪笥や大甕などが置かれ、窯元さん訪問というよりも、おばあちゃんのお家に来たような雰囲気でした。


―はじめまして。あれ?こちらの棚にずらりと並ぶの恐竜の卵のような物…。も、もしかして作品ですか?

 ふふふ、そうなんですよ。この中にひとつ本物の卵が混ざっていますけど。どれだか分かります?(私がわからずギブアップすると、ひとつの白い卵を手にされて)この白い卵が、本物のダチョウの卵で、他はすべて作品です。お察しの通り、恐竜の卵をモチーフにしているんですよ。たくさん並べると面白いかなあと思って、こうやって棚に並べています。はじめは、どなたもギョッとされるようですけど、「インテリアとして飾りたい」「割れ目に花をいけてみたい」と言って気にいってくださるようです。近所の小学生も遊びに来ては「この卵が欲しい」とおねだりするんです(笑)。実はこの本物のダチョウの卵もお客さんから頂戴したものなんですよ。「うちにもあなたの作品とそっくりな物があるわ」とおっしゃって。

―ひとつひとつに表情があって、おもしろいですね。いつ頃からこの卵のオブジェを制作されているのですか。

 そうですね、5〜6年ほど前から取り組んでいます。卵の形が持つ曲線が好きで、自分でも表現してみたいなと思ったのがきっかけです。それにこの形をつくるのは、ろくろの勉強にもなるんですよ。よくみなさん、これは型でつくっているのだろうとおっしゃいますけど、すべてろくろです。まずはじめは、普通の器と同じようにろくろを回していきます、形を整えながら大きくしていくのですが、最後は球形の頂上をふさいでしまうようにろくろを回していくんですね。だから作品の中は空洞です。
 焼成は穴窯で薪を使って、30時間ほどかけて行います。卵から動物が生まれてくる時って、ものすごいエネルギーを使っているじゃないですか。その卵の割れが自然にできないものかと、あえて焼成時に自然に割れるのを期待しているんですけど。これがなかなかうまい具合に割れないんですよ!もう割れていたら嬉しいですよ(笑)。焼成の後、窯から取り出すときなんて、はた目から見たら発掘調査でもしているような感じでしょうね。陶器をつくっているのに、割れていると嬉しいっていうのも、ちょっとおかしな話ですよね。

―ふふっ!ホントそうですね。ところで「寒鶯窯」という素敵なお名前はどういう由来なんでしょうか。

 ここ地元(多久市)に、高取伊好翁が人々の勉学の場のためにと寄贈された「寒鶯亭」と呼ばれる建物があります。「寒鶯」とは冬のうぐいすのことなのですが、その鳴き声はまだ上手ではないけれど、やがて美しい声を出すべく春を待ちながら修練を続けるという意味があるそうです。まさに私にぴったりだなと思い、地元で通っていた学校の先生のすすめもあって「寒鶯」を頂戴しました。
若い頃は、まさか陶芸作家になるとは思ってもおりませんでしたから、窯を開くにあたって、たくさんの地元の方から応援をいただきました。実は学校を出てからは、京都で普通のOLをやっていたんですよ。その時、陶芸教室に通いはじめたのがきっかけで、28歳の時に一念発起してアメリカへ陶芸留学しました。そしてここ多久へ帰ってきて、はじめは地元の窯元さんに弟子入りしたんです。最初は、アメリカとろくろの回転方向が違うので、ちょっととまどいましたけど。アメリカでは陶芸というと、実用食器をつくることよりも、どちらかというとオブジェ的な作品が中心なんです。そういったこともあって、「卵」の作品をつくる発想も出てきたのかもしれませんね。

―オブジェ以外にはどういったものをおつくりになっているんでしょうか。

 やはり食器類です。8:2の割合で食器類が多いですね。こちらには昔「多久古唐津」と呼ばれる唐津焼が生産されていたらしいのです。窯跡もいくつか残っています。今では継承しているところもないようですし、あまり研究もすすんでいないようなんですけど。それを復興できたらいいなと思い、唐津焼の技法を用いながら食器をつくっています。とはいえ、食器もオブジェと同じく、自然のものからインスピレーションを得ることが多いですね。花の形や貝殻などをモチーフにしたものが多いかな。
この足付の浅鉢は貝殻をモチーフにつくってみたものです。伝統的な形の器の中にも、やはり自然からみてとれるモチーフがありますね。土や釉薬などの材料の研究もこれから取り組まなくてはとは思っています。釉薬は藁や近くの草木を自分で灰にして用いてみたりしていますが、土はなかなか奥深くて難しいですね。将来は、人々に忘れられてしまった「多久古唐津」を継承していけたらと考えています。

―釉薬つくりや窯焚きなど、お一人ではたいへんなのでは。

 ええ、もう重労働ですよ(笑)。窯焚きの時は、さすがに一人では無理なのでお手伝いをお願いしているんですけど。でも土を触っていると成分のせいか、手はつるつるになって荒れないんですよ。泥エステになっているんじゃないかな(笑)。


懐かしい木造白壁のご自宅を改造した、工房兼展示室。ここには、卵のオブジェを飾った棚のほかに、古い和箪笥の引き出しを開けると、小鉢や徳利などの器がぎっしりと収納。部屋の中央には大きな酒樽をリサイクルしたテーブル。酒樽はその昔、多久で使われていたもの。この樽を輪切りにして、中に卵のオブジェと照明が入っており、上にガラスの板が置いてあるテーブルなのです。部屋の梁には書道の先生が書いてくれたという「寒鶯窯」の文字が掲げられていました。地元を愛する田中さんが「多久唐津」をどんな風に再現なさるのか楽しみです。

平成15年4月21日〜佐賀市のギャラリー「花きらら」にて個展を予定されています。5月末には福岡三越にてグループ展に参加予定。また寒鶯窯では、毎年1月末に窯開きを開催しています。
DATA
寒鶯窯
所在地 〒846-0012 佐賀県多久市東多久町
別府二区
電 話 0952-76-4356
展示場
交 通 JR東多久駅から車で3分
駐車場
店休日 不定休(おでかけ前に電話連絡ください)
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