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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 松尾博之
(有田町)
1937年有田町生まれ。有田工業高校窯業科卒。大物ろくろに定評のある2代奥川忠右衛門氏からろくろの師事を受ける。白磁を中心に作陶を続け、日展、日本現代工芸展に出品、入選を重ねる。日本現代工芸会会友。県陶芸協会会員。
車1台分の白い山道をしばらく登ると博泉窯はある。一つの里山を切り開いた、4千坪の広大な敷地。「将来ここを生涯学習センターにしたいんです。近所の人が集まって歌、焼き物、コメや野菜づくりを楽しみたい」 骨太で、がっちりとした体格。終始、淡々とした語り口でこちらの質問に答える。朴訥(ぼくとつ)な人柄を感じさせるが、スケールの大きい構想を口にするから驚いてしまう。

ここに至るまでの歩みも大胆だ。有田工業高校の窯業科を卒業してはいるが、選んだ仕事は自動車関係。「若い時は機械(自動車)の方が魅力だったんです」と振り返る。

そんな松尾さんに陶芸の魅力を教えたのは、近所に住んでいた奥川忠右衛門さんだった。何度も忠衛門窯を訪れ、作業風景を眺めているうちに陶芸の世界に引かれ、技術を"盗んで"いった。「門前の小僧、習わぬ経を読むみたいなものです」。

38歳の時に自宅の車庫に小さな窯を作った。その時はまだ趣味の領域だったが5年後、20年間続けた自動車整備会社を兄に譲り、陶芸一本に道を絞った。当時43歳。修行10年といわれる世界に、二の足を踏むことはなかったのか?

「もちろん冒険でしたよ。でも猪突(ちょとつ)猛進な人間なんで」と、照れ笑いを見せる。

独立してからは「寝とるか、仕事しとるか」のがむしゃらな日々。疲労で倒れたこともある。だがその頑張りも、修行10年の言葉の前にはどうにもならず、窯を開いて5年間は作品が全く売れなかったという。

転機が訪れたのは10年後、思い切って現在の場所に窯を構えてからだった。「それを境に作品が売れ出し、日展などへの入選も続いた」。会社経営の時に知り合った中国景徳鎮出身の陶芸作家・豊増晏正さんの協力で「名も売れてなかった陶芸家」が、東京で個展を開くという幸運にも恵まれた。

奥川さんからろくろを習った以外は、すべて我流という松尾さんの作陶姿勢は「テーマにこだわらず、作りたいと思ったものを作るだけ」。いい意味で様式というものを気に留めない、幅広さから出てくる魅力。それが作品にも表れている。

大英博物館に出展する「波動」は、松尾さん流に白磁の美を表現した深鉢。その白磁は人となりを表すように、おおらかでふっくらとした印象を与える。もう一つの出展作品「冬木立」は朝焼け時の里山の風景を、有田の谷間を流れる霧とともに吹き染めの技法で表現した。ぼんやりとした青、赤、白の3層に分けた大胆な配色が、絵画が趣味という松尾さんらしい。

独立してから20年。「キャリア的には中堅。がむしゃらに模索してきた段階から卒業して、テーマを絞ってじっくり取り組みたい」という。制作ペースを落した分は、カラオケ、パソコン、畑仕事など、趣味のほうに時間を割く。それらをひっくるめ、行き着く先が生涯学習センターなのだろう。「里山の頂上に展望台を」「頂上までの遊歩道も計画しています」。

最初はとっぴに聞こえた発想が、本当に実現しそうに思えてきた。数年後、里山がたくさんの人でにぎわう光景が目に浮かぶ。
出展作品
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波動

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冬の朝

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■博泉窯(はくせんがま)
西松浦郡有田町中部乙
西九州自動車道・波佐見有田インターから車2分。JR有田駅から車5分。
展示場、駐車場あり。
電話0955(43)3627
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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