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やきものにみる文様VOL.37 梶ヶ濱関(かじがはまぜき)
▲染付力士牡丹唐草文大皿
C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵(柴田夫妻コレクション)


 館報No.38シリーズの33回目では同様の力士の文様で、小野川関を紹介しました。今回は良く似た力士の文様ですが、梶ヶ濱関が描かれた製品を紹介します。

 江戸時代の天明から寛政年間(1781〜1801)は相撲ブームが到来し、谷風、小野川、雷電などの力士が活躍した黄金期であったとされます。中でも無敗を誇った雷電為右衛門は土俵生活21年間35の場所をつとめた間に、254勝10敗で勝率9割6分、連続優勝7回という記録をもっています。この西の大関雷電に土をつけた力士は、それだけで名を挙げました。その一人が梶ヶ濱力右衛門です。
 梶ヶ濱関は宝暦6年(1756年)生まれ。薩摩大隈国桑原郡(現在の鹿児島県姶良郡)出身で、本名を津川力右衛門といい、新入幕した寛政2年の11月場所から引退する寛政6年の3月場所まで最高位を東の前頭4枚目としました。引退の場所では東前頭7枚目です。通算成績5勝7敗6割2無勝負20休で、記録からみるとそれほど華々しく活躍した力士とはいえません。引退してから30年後の文政3年(1820年)3月23日に没しています。

 雷電に勝ったのは東の前頭4枚目として臨んだ寛政3年(1791年)4月、本場所5日目のことでした。幕内デビュー後1敗しかしていない雷電の2回目の黒星で、雷電はその後2年間無敗でしたので、その勝利は人々に強い印象を与えたのでしょう。
 その短い活躍期から、この染付大皿も1790〜1800年代と推測されます。眉は太く、口をへの字に曲げ、肩をいからせ、大きな手に力をこめているその風貌には特徴があり、なかなかの美男子です。肖像の周りは赤牡丹唐草文と軍配があらわされ、力士文様の器らしいデザイン構成になっています。(藤原友子)

参考文献:小島貞二著『力士雷電』1998年ベースボールマガジン社

佐賀県立九州陶磁文化館報
セラミック九州/No44号より(平成20年発行)

■写真…染付力士牡丹唐草文大皿
(柴田夫妻コレクション)
C佐賀県立九州陶磁文化館館
■編集・著作…佐賀県立九州陶磁文化館
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