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ひびやき―陶器と磁器のはざま―
<会期:平成19年3月21日〜平成19年4月8日>
平成19年3月26日

 新生活スタートのシーズンとなりました。こちら佐賀では日当たりの良い山腹に、ちらほらと咲き始めた山桜を見られるようになりました。さて今回ご紹介するのは佐賀県立九州陶磁文化館で開催されているちょっと変わったテーマ展「ひびやき―陶器と磁器のはざま―」です。
 九州陶磁文化館のテーマ展は、その季節にあったやきものの紹介や文様や用途に応じた古伊万里の紹介など様々な切り口で所蔵品が紹介されています。今回のテーマ展ではこれまであまり知られていなかった「ひびやき」について展示・紹介するものです。

 「ひびやき」とは、意図的に釉にひびを入れて独特の装飾性をもたせたやきもののこと。焼成時の素地と釉薬の収縮率があわず、結果としてひびが入ったものは「ひびやき」とは呼べないそうです。
▲陶胎染付山水文水指

▲陶胎染付雲堂文香炉
「ひびやき」独特のやわらかな風合いは、茶陶として好まれ、茶碗や水指などが多く作られました。肥前地区では17世紀後半に、陶器質の素地に白化粧土をかけて染付をほどこすという「ひびやき」いわゆる「陶胎染付」が作れます。その後、江戸後期になると鍋島藩窯や志田西山(嬉野市塩田町)、白石焼(みやき町)などでも作られるようになります。

 上写真の「陶胎染付山水文水指(1650〜60年代)」を御覧ください。茶陶ブームにこたえるため作られた水指。器体全体に「ひび」が入り、磁器の染付と比べるとあたたかみを感じ、奔放な印象を受けます。ぱっと見は磁器に見えますが、陶器質によるものなのです。
「陶胎染付雲堂文香炉(1662年)」も同じく「ひびやき」になりますが、これは銘に「寛文2年(1662)」と年号銘が入っていることから、作品研究の際の基準作とされています。
「陶胎染付山水文水指」とそっくりな雲文が描かれていますが、この文様が当時好まれていたのか、それとも同じ窯でつくられていたのでしょうか?

 江戸後期になると御用窯である鍋島藩窯でも「ひびやき」が作られるようになります。
(左写真は鍋島藩窯から出土したひびやき製品の陶片)
しかし同じ時期、肥前・有田では陶胎染付が作られなくなったようなのです。それに変わって、佐賀・鍋島藩周辺の平戸藩領や大村藩領では陶胎染付の量産がされていたのだとか。
何故なのでしょうか?この謎をとく鍵が記されている資料が紹介されていました。

▲青磁罅焼燭台
 有田皿山代官の記録である「皿山代官旧記覚書」という古文書によると、鍋島藩窯があった大川内山の「ひびやき」と同じものをつくって商売をしていた志田西山がその製造や商売を禁止されたという記録が記載されているのだとか。御用窯周辺の一般の窯では製造が禁止されたのでしょう。一方需要にこたえるため、鍋島藩外の平戸藩領など他の地域で「ひびやき」の量産が行われていたとの推測がつきます。
 鍋島藩窯ではこの「陶胎染付」の技法を青磁に利用して、貫入の入った青磁染付や青磁と色絵を施した製品をつくるようになります。写真の「青磁罅焼燭台(19世紀)」や「陶胎染付青磁蔓草文水指(19世紀)」がそれです。大小のひびが入ることで、精緻な印象の青磁が独特の雰囲気を持つようになります。上流階級の人にとっては、ひびやきはどのような印象をもって受け入れられていたのでしょうか?
▲陶胎染付青磁蔓草文水指

 ところで佐賀県みやき町には白石焼と呼ばれるやきものがありますが、もとはこの陶胎染付をつくっていたのではと言われています。その歴史などははっきりと解明されていませんが、今回の展示では白石焼のひびやきとされる製品も展示されていました。
▲陶胎染付岩梅樹文大皿
 白石焼では意図的にひびやきが作られたのではなく、有田から離れたこの地では、陶石の確保が難しかったため、磁器をまねるために陶胎染付をつくったのではないか?とも考えられています。写真の「陶胎染付岩梅樹文大皿(1866)」が白石焼によるひびやき。器全体に細かいひびが入り、見込みには梅の文様が写実的に描かれています。筆致は有田のものよりも少しかたさがあるような印象。佐賀県でもなかなか見ることができないため、訪れていた初老の男性グループも「珍しいね」といいながら熱心に鑑賞されていました。
 
 これまでの地元の展覧会でもなかなかスポットの当たらなかった「ひびやき」ですが、技法そのものもさることながら、その流通面にも興味がわきます。ぜひそういった面の研究発表も鑑賞したいものです。


●佐賀県立九州陶磁文化館
【所在地】西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
【電 話】0955-43-3681
【駐車場】
【休館日】月曜日・12/29〜12/31