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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 奥川忠右衛門
(有田町)
昭和6年、西松浦郡有田町生まれ。同22年から父である初代奥川忠右衛門に付いて陶芸を学ぷ。同42年に県陶磁展で、翌43年には日本伝統工芸展でそれぞれ初入選を果たす。同48年には日本工芸会正会員に堆挙される。同50年、父の死去に伴い、二代目奥川忠右衛門を襲名した。日本伝統工芸会会員。
「磁器、特に白磁は端正で完成された仕事。そこに自分の思いや感動を盛り込み、全体に動きのある作品を作りたい」
作業中の手はそのままに、ぽつりぽつりと思い出したように話し出す。

有田白磁の大物ろくろ造りの至宝とうたわれ、国の無形文化財に指定された初代奥川忠右衛門の長男。その技術を受け継ぐ者として、今日も黙々と白磁に取り組む。

自分が思い描いた作品を現実のものとして生み出すため、道具へのこだわりも尋常でない。これまでに使った木べらや彫金(ほりがね)は数知れず、しかもそのほとんどが自作や特別注文の品々だ。

「木目の詰まり具合や金属板のしなりなどほんのささいなことやけど、市販の商品では物足りないんです。間に合わせの道具で作った作品では、形や存在感に深みがなく、薄っぺらなものにしか仕上がらない気がする」

中途半端なことや口先だけの人間は我慢ならないという昔ながらの職人気質。その性格が作品にも色濃く反映する。雑然とした作業場の一隅には作りかけの花瓶や花器が所狭しと並ぶ。

あるものは彫文が施され、あるものは端正な表情を浮かべる。いずれも未完成な作品だが、そこに漂う雰囲気からは厳然としたものが感じられる。自然、こちらも襟を正さねばならないような気がするから不思議だ。

「ろくろの生命線は口と高台」という先代の言葉をかたくななまでに守る。表に見える高台と中の高台を長年の経験と勘で削り出し、絶妙のバランスを表現する。また、口の処理には一部のすきも感じさせないシャープさがある。

「先代の遺言だが、万物にはすべて法がある。当然、焼き物の世界にもその法がある。それに反したやり方はいずれ淘汰(とうた)される。法を守りながら自分なりの作品を作り出す。それが自分に課せられた使命」

その先代から手取り足取り教えられた記憶はない。終生蹴(け)ろくろしか使わなかった先代をサポートし、ろくろ回しを手伝ったが、うまくいかないと容赦なく罵声(ばせい)や足、手が飛んできた。

しかし、厳しいだけではなかったと懐かしげに振り返る。自分がひいた作品に先代が後でこっそりと手を加える。その跡を見て修練を重ね、自分の技術を高めていった。

「あれが親父なりの教え方だったんでしょう。結構恥ずかしがり屋でしたから」

先代の教えを守りつつ自分なりの味を加えるのも忘れない。削り出した痕跡をあえて残し、冷たい印象の白磁に温かみを加える。そこには凛(りん)とした白磁とは趣の異なる、一種独特の存在感が漂う。

昨年8月、眼底出血を患い、長崎市内の病院で手術を受けた。完治まで後2回ほど手術を受けなければならないが、間近に迫った大英博物館展などを終えるまで落ち着かないからと作陶に励む。

「大英博物館には自分の原点ともいえる白磁彫文を出品するつもり。やはり自分には白磁しかないし、これからも白磁にこだわり続けたい」

その言葉からは、中途半端は嫌いという自分の信念を貫く職人の心意気を感じる。
出展作品
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白磁牡丹唐草彫耳付花瓶

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白磁尊式牡丹唐草彫花瓶

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■奥川忠右衛門窯
西松浦郡有田町戸矢
JR有田駅から車で約8分、西肥バス戸矢バス停から徒歩10分。
駐車場あり(約15台分)。
見学は事前の予約が必要。
電話0955(43)2783
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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