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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 河口純一
(有田町)
昭和10年有田町生まれ。有田工高窯業科を卒業後、窯元勤務を経て37年から県窯業試験場(現・県窯業技術センター)勤務。陶磁器原料、釉薬などを担当した。58年から陶芸家としても活動。平成5年から同センター所長を務め、同8年に退職。県立有田窯業大学校の教授となった。県陶芸協会副会長。日本工芸会正会員、一水会会員。
釉裏彩(ゆうりさい)という独特の技法が持ち味だ。淡い色調。柔らかい藍(あい)色や深紅色が白い磁器に浮かび上がる。
素地に水溶性顔料の金や銅を塗り重ねて文様を描き、釉薬をかけて焼き上げる。窯から出してみないと発色の具合が分からない。仕上がりが不安定なため、「商売ではやっていけない」と、一筋に取り組む人はほとんどいないという。

長年、県窯業試験場(現・県窯業技術センター)に勤務、陶磁器原料や釉薬を担当した。釉裏彩は「試験場にいなかったら、思いつきもしなかっただろう」という、河口さんならではの技法と言える。

ろくろや絵付けについて、「高校で基礎を学んだが、あまり上達していない。今でも、ろくろに点数をつけるなら20―30点」と自己採点は厳しい。それだけに、色や釉薬への思い入れは深いものがある。

若いころは野球など、スポーツに熱中。陶芸は「スポーツができなくなってから、趣味ででも」と思っていた。四十代になって、青磁や天目で県展や九州・山口陶磁展などに挑み始めた。

釉裏彩を始めたのは数年後の昭和58年。「ほかの人がやらないことを」と考えてのことだった。金や銅を使ってぼかす技法は昔からあったが、河口さんは器形の全面に用い、独自性を出した。

職場では仕事に集中。作品に向かうのは家で、暇を見つけて取り組み、展覧会で相次いで入選を果たした。やはり釉裏彩作品を出品した60年の西部工芸展で金賞を射止めた。それは、自分の道に確信を得た瞬間でもあった。

窯業技術センターを退いた後、有田窯業大学校教授として蓄積したノウハウを伝える。今春からは九州産業大の講師にもなり、週一日通う。

今、窯大は卒業制作に取りかかる時期。個性を出そうと模索する学生たちの表情は真剣そのもの。河口さんも「窯業技術センター時代より忙しいが、やりがいがあります」と学生たちの情熱を正面で受け止めている。

大英博物館は一度訪ねたことがある。「技法は私のカラーだから変えないが、デザインは新しいものを出したい」と構想を練る。「公募展は審査で落ちれば、残念ではあるが、不本意な作品が展示されずに済む気楽さもある。大英博物館展は、出来がよくなくても長期間必ず展示されるというプレッシャーがある。決して手を抜けません」。

地元の中樽地区で「上有田うーたん通り 元気の会」を結成。「秋の窯まつり」を始めて3年目を迎えた。今年は10月31日から11月3日まで。河口さんは会長を務めており、「小さな地区ですが、陶磁器関係に従事している仲間が36人。お客さんに楽しんでもらうための催しです」とPRしている。
出展作品
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釉裏彩華文鉢

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釉裏彩華文花器

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■純工房
西松浦郡有田町中樽
JR上有田駅から車で約2分、歩いて約5分。
駐車場は約3台収容。展示場あり。
電話0955(42)4439
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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