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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 西山勇
(有田町)
昭和16年有田町生まれ。会社勤めをしていた35歳のとき、転落事故で九死に一生を得た。そのリハビリのために陶芸を始め、同53年に陶芸の道を歩むことを決意。公募展に入選を重ね60年、日本工芸会正会員になった。61年から平成8年まで窯業資材店に勤めて釉薬や絵の具の知識を深め、退職後、本格的に陶芸の道を歩んでいる。自宅は有田町幸平。
「これを見てください」と手渡された藤色の皿は、光を当てると赤紫へと色が変わった。鉱物系の薬を使い、光の屈折を考えたという。名付けて「変光秘色瓷(じ)」。続いて示された窯変天目の茶わんは、黒釉(ゆう)地に大小の丸い斑文(はんもん)があやしいまでの虹(にじ)色に輝く自信作。西山さんは「窯変天目は土、炎、釉薬…それらが一体とならないと出ない美しさ。炎の芸術です」と目を細める。
あらためて展示場を見回すと、青白磁、釉裏紅、辰砂(しんしゃ)、染付…とさまざまな技法の器が並んでいる。「色気が多すぎるのか、何でも挑戦したがる。先輩方からは『器用貧乏になるから、どれかに絞れ』と助言されるが、まあ、これが私のカラー、個性じゃないかなと思うんですよ」

そんな多彩な作品群の中でも、ひときわ目を引くのが「天青瓷」と名付けた独特の青の表現。西山さんの持ち味といえる技法で、中国の古陶磁を参考に、青空を思い描いた色だ。「最終的に求めるのは自然。自然にいかに近づけるか。限りなく奥深い青空の色に近づきたい」という。

サラリーマンだった35歳の時、仕事中の事故で大けがを負った。命は取り留めたが、最初は手が動かず、リハビリのために陶芸を始めたのが、この道に入るきっかけだった。

修業した池田伝平氏に教えられたことは、「温故知新」と「物を知らずして、物を作るな」。技術ではなく、焼き物作りの心だった。この二つの言葉を何度もかみしめながら、技術はほぼ独学で身に付けた。

展覧会で入選を重ねる順調なスタート。日本工芸会正会員になったものの、創作の壁も感じた。その時、師の「物を知らずして、物を作るな」という言葉が浮かんだ。心機一転、窯業資材店に勤務し、絵の具や薬の知識を深めた。有害鉛を排除した無鉛絵の具の開発にも携わった。

平成8年暮れに55歳で退職し、再び陶芸に専念し始めた。だから、「私は本格的に始めてまだ日が浅いですから、これから頑張ります」という。『再出発』の意気込みは強く、模索の日々が続く。

一人でろくろに向かい、釉薬や絵の具の研究に熱中。何度失敗しようと、全部自分で作らないと気が済まない。

釉薬や絵の具はすべて自分で調合する。原料を買うことはあっても、絵の具を買うことはほとんどないという。山から取ってきたり、廃材から鉄を利用したりと創意にあふれる。試行錯誤を続けて、体、肌に技術を覚え込ませている。

今、大英博物館展に出品する作品の構想を練っている。「大英博物館はこの辺りの博物館とはスケールが違う。世界の最高峰ですからね」。研究熱心な目が再び輝いた。
出展作品
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天青瓷釉彩更紗文鉢

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変光釉蓋物

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■宗元窯
佐世保市木原町古里
JR有田駅から車で6分、県境バス停から徒歩2分。
駐車場約6台収容。展示場あり。
電話0956(30)8073
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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