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やきものの技法VOL.5 絵具 ―コバルト―
 藍色を呈する陶磁器用絵具で酸化コバルトともよばれる。呉須(ごす)はコバルトを主成分とする天然の鉱物であり、呉須の代用として工業的に製出されたものを一般にコバルトと称している。

 コバルトが陶磁器用絵具として初めて用いられたのは、1720年代のマイセン磁器※といわれる。我国へは江戸の商人瑞穂屋(みずほや)(清水)卯三郎が明治元年(1868)パリから持ち帰り、服部杏圃(はっとりきょうほ)に試用させたのが最初とされている。瑞穂屋は慶応3年(1867)のパリ博に参加し、コバルトの他西洋の陶磁器用絵具を購入し明治元年5月帰朝した。服部による試用のことを聞いた鍋島候は、明治2年(1869)9月瑞穂屋と服部を有田へ招きコバルト等の絵具の導入をはかっている。ところがコバルトについてはそのまま絵付けをしても濃すぎて発色が悪く、その使用法については未熟な点も多かった。しかし明治3年4月下旬から佐賀藩に雇われたワグネル※は、コバルトに小樽山(こだるやま)のギチ土(保屋谷の地土ともいわれる)等の白土をまぜて用いればよいことを教えた。これによりコバルトの使用が急速に広まり、全国の陶業地で用いられるようになった。有田の松村九助は、明治7年(1874)大阪の絵具商草場善兵衛へコバルト数百斤を売っている。その後「数千斤を購い再び上阪し、さらに名古屋に入り玉屋町旅館近江屋に居所を構え、会津、瀬戸、及多治見其他の製陶地に之を拡めた」のである。(池田文次「松村八次郎伝」昭14、P282)。

 コバルトで描かれた製品は、その鮮明で強い色調に特色があり、導入の初期の段階ではこの派手さが好まれたようである。また当時中国から輸入していた天然の呉須よりはるかに低廉であったため、量産品はほとんどこのコバルトが使われるようになった。しかし明治後期では調合の工夫により、前期より落ち着いた藍色となっている。写真の資料は香蘭社が設立された明治8年(1875)の製品で、コバルトと思われる藍色の他にも緑色(クロム)や暗紅色(正円子か)が併用されている。
(鈴田由紀夫)

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佐賀県立九州陶磁文化館報
セラミック九州/No7号より(昭和58年発行)

■写真…釉下彩唐草文テーブル・個人所蔵
■編集・著作…佐賀県立九州陶磁文化館
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