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有田・伊万里 近代
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 ドイツの化学者、ゴットフリード・ワグネルは、1870年(明治3年)、西洋の知識を授けるために有田に招かれます。有田に滞在したのはわずかに四ヶ月でしたが、その間に陶工たちは、初めてふれる西洋の窯業知識に多くのことを学びました。その一つが石炭窯です。それまでは山の斜面に築かれ、薪で焚かれる登り窯で焼成されていましたが、平地にそれも石炭で焼くという日本で初めての試みが、有田の地でなされました。これがきっかけとなり、明治後半からは日本の各地で石炭窯が広がっていきます。

イメージ  ワグネルはまた、有田で使う絵具の改良にも貢献しました。それまで有田焼に見られる藍色の文様は、呉須(ごす)と呼ばれる中国の天然鉱物を使っていましたが、工業的に製造されたコバルトという絵具の使用法を教えました。これを用いれば呉須よりも鮮やかな色が得られ、また自由に濃淡が調節できました。しかもはるかに安い絵具でしたので、ワグネルが教えてから数年で全国に広まりました。伝統的な窯場では、機械は生産システムに関わるものであるため、容易に定着しませんが、絵具は生産工程の中では一要素に過ぎないため、入れ替えが簡単で広がっていったものと思われます。
 ワグネルは有田を去ったあと、東京の大学や京都で窯業化学を教えたり、新しい陶磁器の製造法について研究を続けています。
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イメージ  陶磁器品評会は1896年(明治29年)3月、香蘭社社長深川栄左衛門と有田磁器窯業組合長田代呈一の主催で、桂雲寺で開かれたのが始まりです。以来年一回開かれ、1948年(昭和23年)からは4月29日から5月5日の会期となりました。
 陶器市は1915年(大正4年)の品評会の時、町青年会のリーダーだった深川六助が陶磁店に呼びかけ、一斉に等外品の蔵さらえ大売り出しをしたのが始まりです。福引き券を発行したり、有田駅と上有田駅まで無料で荷物をはこんでやるなどして、盛り上げました。戦前は品評会が主でしたが、今では陶器市が盛んになり、毎年日本全国から七十万人を越える人が訪れ、出店数は600店舗を越える規模となっています。